オペラオー流徒然草

鎌倉在住大学生。 競馬のことや最近気になっているゲーム・ラノベ・マンガ・アニメについて徒然なるままに。

電子漂民は『俺がいる』の由比ヶ浜結衣に何を思うか?

ガハマさんかわいいよガハマさん

というわけで今回は先日までアニメを放送していた『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の由比ヶ浜結衣さんについてです!

前回ガッツリ競馬について書きましたが、今回はガッツリアニメラノベについて書きます。

 

 『比企谷八幡』は「オマエラ」の理想なのだろうか?

 

別に誰かが「俺がいるは人生」とか言ったってわけでもないんですが(笑)

八幡に共感を寄せるオタク諸君、いわゆる「オマエラ」が多数いるようでしたので、本当に八幡は「オマエラ」が共感を得るような存在なのか?『俺がいる』のテーマってそもそもなんなのか?のところを考えてみたいと思います。

 

 この作品の特徴は何と言っても主人公・比企谷八幡ネガティブ&超現実主義思考

八幡の所属する奉仕部には毎度毎度生徒(となぜか先生)から依頼が舞い込んで来るのですが、内容がまあ厄介なものばかり。

非行少女となってしまった姉を更生させてくれ。千葉村なる怪しげな山村でおこなわれる小学生たちの合宿をサポートしてやってくれ。文化祭で実行委員やれ。体育祭で実行委員やれ。ちくわ大明神。生徒会選挙でみっともなく見えないように負けさせてくれ。

なんか変なの混じってた気がしますが、だいたいこんな感じです。ねえこれどの辺が部活の仕事なの……?

 しかし任された『仕事』はやり遂げなければならないのが社会のルール。八幡は仕事の完遂のために尽力しますが、どこかズレている彼はいつも間違った解決方法ばかり選んでしまいます。終わりよければすべてよし。大事なのは結果であるという信念から自分を犠牲にし、まちがい続ける八幡でしたが、いつしか自分の間違ったやり方が原因で周りにほころびが生じてしまいます。そしてそれは、雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣、この二人との関係をも脅かし始めたのです。自らが導き出した最適解を実行するために自分が傷つくことを恐れない八幡と、八幡を心配するあまりそのやり方を認められない由比ヶ浜と雪ノ下。三人は互いを思いながらも近づけないもどかしい日々を送っていた。

10巻開始時点までの話をまとめるとこんな感じでしょうか。

ここまでをご覧になって皆さんは、この物語と自分とで符合する箇所を見つけられたでしょうか?

いや~俺も高校の時は奉仕部で馬車馬のように使われて大変だったよ~

という方はかなり少ないんじゃないかと思います。

しかしライトノベルが売れるのは一般的に多くの共感を得ているからだと言われます。では一体「オマエラ」は何に共感を示したのでしょうか?

答えは単純。比企谷八幡の人間性に共感を示しているのです。

ライトノベルの主人公の有名な型として「ヤレヤレ系」というものがあります。自らに降りかかる困難や問題に対してある種の諦観を持って立ち向かうスタンスの主人公のことです。

八幡はこのタイプに当てはまりません。最近巷でよく聞く「サトリ系」に近い性格をしています。

つまり、ここ数年の間に読者自体の性質が変わったということでしょう。

思えば「俺がいる」が世に出る前後の作品は「ヤレヤレ系」から脱却しようという意識がかなり見られていました。「とある」シリーズや「俺妹」シリーズに見られる熱血系。「さくら荘」シリーズや「神様のメモ帳」シリーズの主人公のようなウジウジ系。「バカテス」シリーズの登場人物のようなおバカコメディ系もよく見られました。

その全てが大成したようで、実はそうでもなかった。現に「俺がいる」の2年連続「このライトノベルがすごい!」での1位獲得は初の快挙でした。しかも2年連続で「好きな男性キャラクター部門1位」を比企谷八幡が獲っています。

これは読者が八幡のような人物が主人公の物語を待っていたという証明だと私は思うのです。

 

「オマエラ」は『由比ヶ浜結衣』に何を求めるのか?

登場した当初は「ぼっちに相対する者」というポジションだった由比ヶ浜

 しかしアニメが終わった現在では雪ノ下雪乃と並ぶヒロインとして君臨しています。物語中に彼女に何が起こったのか?彼女はなにか変わったのでしょうか?その変化に、「ただのモブ」と「ヒロイン」の差があるのではないでしょうか?

結果だけ言ってしまえば、由比ヶ浜自身は本質的に何も変わってはいないでしょう。八幡から見た由比ヶ浜の「ビッチ」という印象が、登場段階では視聴者にそのまま彼女のキャラクターとして伝えられてしまったため、当初の由比ヶ浜は主人公サイドの敵として認知されてしまったのです。

具体的には、原作1巻の時点だと、八幡は由比ヶ浜に対して「ビッチ」と連呼していますし、彼女のことを少なくとも自分とは住む世界が違う存在だと述べています。

しかし後に彼は「由比ヶ浜結衣は素敵な女の子だ」という発言を(地の文で)していて、彼女の欠点だと思っていた「人の目を伺う」ところを「誰かのことを思いやれる」娘であるとかなり好意的に解釈を改めています。

ここですこしいいでしょうか。「オマエラ」がアニメ終了した現在の時点で由比ヶ浜をヒロインだと思っているのはほぼ間違いないと思います。しかし「オマエラ」は「ビッチ」(汚い言葉で申し訳ありませんが)をヒロインとして見ることが果たして出来るでしょうか?答えはNOだろうと思います。あ、もちろん、由比ヶ浜は実際にはビッチじゃなくてしょj……素敵な女の子ですよ?

ではいったいなぜ「オマエラ」の、八幡の、由比ヶ浜に対する見方がこうも変わったのでしょうか?繰り返すようですが、由比ヶ浜自身も、由比ヶ浜の周囲の状況(クラスの上位カーストに所属していること)も変わってはいません。

筆者の結論を言わせてもらうと、この変化はきっと「距離の変化」なのだと思います。

はじめのころ八幡は由比ヶ浜結衣がなんとなくビッチっぽいなあと思ってはいましたが、実際の彼女がどのような性格で、どのような思考をしていて、どんな話し方をするのか、、、とにかくすべての「ホントのところ」を知りませんでした。

何もわからない八幡を通して由比ヶ浜を見る「オマエラ」も、せいぜいよくいる萌えキャラ程度にしか捉えられなかったのではないでしょうか。

しかし月日が経ち、由比ヶ浜の色々なクセや考えを見て触れていくうちに、八幡は彼女の素敵な部分を発見していきます。そしてもちろん、八幡の目を借りている「オマエラ」も同様に彼女の素敵な部分に触れていきます。

ここで大事なのは「オマエラ」と八幡が限りなく同じ存在であることです。つまり八幡は「オマエラ」に共感されていないといけないのです。これに関しては上で既に述べましたね。

つまり「オマエラ」が由比ヶ浜に求めるものを八幡が発見していく形で、由比ヶ浜結衣という少女の魅力を掘り下げていっているわけです。

このように、由比ヶ浜結衣はヒロインに成長したのではなく、ヒロインとして発見されたヒロインだったのだと思います。

 

かなり駆け足でまとめてしまいましたが、ラノベやなんやらについての話はこんな感じで筆者が思いついたことをまとまりもなく話していくだけの構成になっています(構成も何もありませんねw)。

興味を持たれた方はまた次回の記事もよろしくお願いいたします。

次回は、、、『スクファン』かなあ、、、あ、キングジョージも予想しなきゃ、、、、

こんな感じで!電子漂民の皆さん、またの機会にお会いしましょう!